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随想集「ズレズレ草」

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随想集「ズレズレ草」とは
 「ズレズレ草」は、etwas代表・貞広貴志が、ライター貴志貞広として、事業とはちょっと距離を置き、心にうつりゆくよしなし事をつづる随想コーナーです。世間とズレててもご容赦を。

ズレズレ草 其の四 「何か」があるラオス~古都と首都で考えた

2026年05月18日

CATEGORY:随想集「ズレズレ草」
ライター 貴志 貞広

    

大あくびの人形遣い

5月3日、土曜日の午前10時。ルアンパバーン中心部の名刹ワート・セーンの境内を歩いていると、どこからか木琴と鼓の音が聞こえてきた。本堂わきに設営された小舞台で、20人ほどの子供たちが人形劇を演じている。少しずつ変調しながらいつまでも続く木琴の旋律。人形を操る子供たちは、ゆるゆる体を揺らし、時に大あくびしながら歌う。旅先で遭遇した「木琴ボーイズ」は、ラオスの時間の流れと居心地の良さを、そのまま形にしていた。

私は海外特派員を16年間務め、「新聞社のおカネで世界108か国を旅した」という<煩悩記者>をネタにしていた。よく「108か国でどこが一番良かったですか?」と聞かれるので、それには悩まず「ラオス」と即答することにしていた。すると次はたいてい、「ラオスって何があるんでしたっけ?」という問いが返って来る。多くの人の観光地図には載っていない国なのだろう。

「もう30年以上前ですけど、何とも言えない居心地の良さが肌で感じられたんです」と答えるのだが、もうひとつピンとこない顔をされることが多かった。という訳で、GWを使った今回のラオス4泊6日(機中泊1)の旅は、32年前のサダヒロ記者が感じた「居心地の良さ」が今も残っているのか、残っているとすれば、その正体は何なのかを探すミッションだった。

東京からラオスへ

 東京からラオスへの直行便は、もちろんない。成田からベトナムのホーチミンに飛び、そこから、プノンペン(カンボジア)→ビエンチャン(ラオス)→ハノイ(ベトナム)と、まるでホッピングバスのように離着陸を繰り返すベトナム航空便でビエンチャンに入った。

話がいきなり脱線するが、この辺には、移動中のヒマにまかせて日本語をあてると妄想をくすぐる地名が多い。「鼻炎ちゃん」「放置民シティ」など、人の顔や風景が浮かんでしまう。ビエンチャンの大規模開発は、「ドンチャン・パーク」だった。

 話を本流に戻す。32年ぶりのラオスは、昔のままではなかった。ビエンチャン郊外では韓国資本の巨大ショッピングセンターの建設が進んでいた。中国資本で2021年に開業した高速鉄道は、首都と古都を2時間で結ぶ。ルアンパバーン駅には送迎用の白いワゴン車が無数に待ち構えていて、案内なしではどうやって市内に行くのか、途方に暮れそうなにぎわいだった。

それでも、ラオスの魅力はしっかり残っていた。

 まちごと世界遺産のルアンパバーンには、そもそも信号がない。フランス植民地時代の面影を残す街路には、車はそこそこ走っているのに、誰も急がず、譲り合うのでストレスがない。寺の回廊に並ぶ仏像は、一体ずつ表情が違って見飽きない。



ビエンチャンでは偶然、メコンの流れと夕陽を一望するホテル7階のレストランをみつけた。どちらに流れているのかすらよくわからない川面と、少しずつ輝きと高さを変えながら沈む太陽を見ていたら、いつの間にか3時間たっていた。  

 人の好さも、ひしひし伝わって来た。日本のうどんに似たカオ・ピャック・センを道路わきの地元店で食べる際、群れを成して襲ってくるハエを手で追い払っていた。すると店のおばちゃんが巨大な扇風機を持ってきて、一気に吹き飛ばしてくれた。サンキューと言ったら返って来た、「どうだい」とでも言いたげな満面の笑みは、今回の旅で最も印象に残った光景だった。

 朝市と夜市を連日歩いたが、ほかのアジアや中東の市場でおなじみのしつこい売り込みはない。客が来ても、話かけられるまではスマホをのんびり眺めている店員が目立った。乾季の終わりでむやみに暑い。無理にあくせく働かない空気は、むしろ心地よかった。私も連日、しっかり昼寝した。

 ラオスにいったい何が

 いま世界の観光は、名所巡りから、日常を離れ心身を整える旅にシフトしつつある。米紙ニューヨーク・タイムズは25年1月、「ラオス、今年こそブレークか?」という長文記事で、北部の川辺の村の静けさと絶景を持ち上げた。ラオスの空気と時間は、どうやら世界が今欲しがり始めたものだ。

 作家の村上春樹は、紀行文集「ラオスにいったい何があるというんですか?」で、「僕がラオスから持ち帰ったものといえば、(略)いくつかの光景の記憶だけだ。でもその風景には匂いがあり、音があり、肌触りがある。そこには特別な光があり、特別な風が吹いている」と評した。

 私は、1994年の出張で訪れたラオスで、とにかく色んな人から助けられ、川のせせらぎで洗った野菜と香草を堪能した記憶がある。今回、清潔なレストランの水道水で洗った野菜と香草は、やっぱり野趣あふれてうまかった。日本に2年半留学していたシンさんをはじめ、多くの人にあたたかくもてなされた。

やっぱりラオスには何かがある。でも私には、まだうまく言語化できていない。日本の地域観光に活かせそうなこの居心地の良さの正体を、これからも探していきたい。 

    (ライター 貴志貞広)     

冒頭に紹介した「木琴ボーイズ」の圧倒パフォーマンスを、実際に見て、聞きたい方のために短動画を用意しました。


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ズレズレ草 其の参 「まちごと旅館」体験記~昭和レトロの俵山温泉、名湯復活の挑戦

2025年11月19日

CATEGORY:随想集「ズレズレ草」
ライター 貴志 貞広

 銭湯の浴槽ほどの大きさの湯舟に身をひたすと、ぬる湯が肌をやさしく包む。目の前の壁に貼られた「効果的な入浴の仕方」には、「基本的には、十五分~二十分、汗がでるまでお湯につかりましょう」とある。これに従い、時計とにらめっこしながら20分がまんしていたら、頭皮や首回りからジワジワ汗が出た。アルカリ泉で肌がツルツルになり、飲み湯と併用したらお通じも良くなった。
 ここ山口県長門市の俵山温泉は、短期間でも健康効果を実感できる、評判通りの名湯だった。

 かつて全国からの湯治客でにぎわった俵山温泉は今、入湯客減と担い手の高齢化・不足で存亡の危機にある。これを、温泉地全体がひとつの旅館となって再生させようという壮大な実験「まちごと旅館」事業が始まった。
 まずは、「川の湯」という閉鎖した外湯に設けられた受付でチェックインする。ここは、俵山にある「保養旅館 京家」「泉屋旅館」という異なる旅館の客室部分のみを計9室管理しており、「まちごと旅館」のいわば指令室だ。甚平とタオル、入浴手形それに駄菓子を受け取り、旅館に向かう。築百年という旅館は、玄関に花が飾られ、廊下などは磨き上げられている。近代的なホテルと比べれば、エレベーターもなく古さと不便さは否めないが、過去に時間旅行したような不思議な空気感がある。

 俵山温泉の魅力は、すぐれた泉質とレトロな町並みだろう。
 泉質の方は、各種調査で生活習慣病予防や老化抑止、美肌効果が実証されている。一方の町並みは、昭和で時間がとまったようなレトロの風情がある。湯量が豊富でない俵山温泉は、旅館が内湯を持たず、「白猿の湯」「町の湯」という2か所の外湯を訪問客と地元住民が分け合っており、何度でものんびり入りたくなる、気取らずに済む雰囲気を醸し出している。「まちごと旅館」サイトは、「なぜか、すっぴんで歩きたくなる」と評した。筆者はふだん化粧しないが、感じはよくわかる。


 ただ、この枯れた風情は、衰退の現れでもある。
 5分もすれば通り抜けられる温泉街には空き家が目立つ。かつて43軒を数えた旅館は、16軒まで減った。入湯者は1972年の72万人から2022年は11万人となった。地区の人口は、3,663人を数えたピーク時(1945年)から80年たって874人と4分の1に。旅館経営者の子供たちが地元に戻らず、高齢化が進み、温泉街全体として事業継承できるかどうか、開湯1,100年の歴史が途切れかねない瀬戸際にある。
 危機感をつのらせた地元有力者は、長門市に2021年に要望書を提出。市長の決断もあり、市と地元、金融機関、民間企業、外部の専門機関が連携する枠組みができた。2024年には未来のビジョンをまとめた「俵山温泉グランドデザイン」が策定され、これに基づいて始動したのが「まちごと旅館」プロジェクトだ。
 プロジェクトは、株式会社瀬戸内ブランドコーポレーションが先導する形で25年9月に始動し、2旅館でのトライアルがうまく行けば、従業員不足に悩むほかの旅館にも広げる予定だ。自宅を兼ねる各旅館のオーナーは変えずに、手が回らなくなった客室運営を肩代わりすることで、温泉街全体の旅館機能を維持・拡大しようという取り組みだ。
 温泉としての魅力に関しては、俵山温泉はレトロな風情では山形県の銀山温泉に、外湯のにぎわいでは長野県・野沢温泉に匹敵する潜在力があると感じた。歴史ある湯治文化を、若い世代にもささる「シン・湯治」としてアピールし、収益力を取り戻せるか――。俵山温泉のまちぐるみの挑戦は、同様の課題をかかえる全国の観光地にとっても注目の取り組みとなりそうだ。(ライター 貴志貞広)
           ◆
 「まちごろ旅館」は、公式サイト( https://www.chillnn.com/198a114032dfc/info )から予約できる。

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ズレズレ草 其の弐 待つことだけが万博だ~大阪EXPO再訪記

2025年10月15日

CATEGORY:随想集「ズレズレ草」
ライター 貴志 貞広

  半年間にわたった大阪・関西万博が10月13日に閉幕した。メディアの総括は、おおむね「成功」のようだが、成功の副作用である「待ち時間」の実態を訪問者目線でルポする。

                ◆

 9月中旬の平日、2回目となる万博訪問のため大阪に行った。今回のお題は「待つを楽しむ」。開幕直後の前回は回れるだけ回ったので、今回は行列覚悟で人気パビリオンにしぼった。

 昼過ぎ、イタリア館に着いたら最後尾のプラカード掲示はすでに「待ち時間5時間以上」。プラカードをかかえた係員が、「本当に並ぶ? 確実に入れるには入れるけど、そのころには暗くなっているかもよ」と気の毒そうに言う。その言葉通り、結果は7時間半待ちで、入退場行列を合わせると計8時間40分と人生最長待ち記録を樹立した。
 事前には、待ち時間を有効に使ってあんなこと、こんなことやろうと計画していたが、なんとも言えない疲労感におそわれ、できたのは立ったり座ったりしながら、ノロノロ歩くのみだった。大屋根リングの下の日陰に縄をたたむように行列したので、炎天下にさらされたわけではなかったのだけれど。
 印象的だったのは、まわりの人がまったくイラだってなくて、列を抜けて他パビリオンを見に行くといったズルをする人もいなかったこと。日本の美徳、でしょうか。何時間も並ぶというイベント自体を静かに楽しんでいた。列にインバウンドの人が、目立って少なかったのは偶然ではないのだろう。

 待ちに待って見学したイタリア館の中は、さすがに素晴らしかった。イタリア政府が持ち込んだ国宝級の芸術品はもちろん、お洒落な工業デザインの数々は「さすがイタリア」と思わせた。

 で、総括。個人的には、パビリオンに並ぶのは仕方ないとして、疲れ切った退場後に目の前の駅まで遠回りして1時間も歩かされるのはいかがなものかとは思った。この時間は楽しめなかった。バスの増発なり午後10時以降も飲食などでとどまれる仕掛けなり、改善策は取り得たと考える。(ライター 貴志貞広 *9月下旬のフェイスブック投稿に加筆)

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ズレズレ草 其の壱 二拠点活動のススメ~「便利な田舎」暮らしで、都会の魅力も再発見

2025年10月10日

CATEGORY:随想集「ズレズレ草」
ライター 貴志 貞広

 9月のとある平日の午後。あまりに天気がいいので、ふと思い立って買ったばかりのオートバイにまたがった。目指すは、自然豊かな山の中。市街地からわずか15分で原色の景色に飛び込めた。緑が濃く、空は青く、ガードレールは黄色い。信号も対向車もない。田舎ならではの爽やかな時間で心身をリフレッシュできた。仕事の面でも、観光振興の可能性を肌で感じた。

 

 それから数週間後。2日連続でにぎやかな日本酒イベントに参加した。初日は、全国の名門蔵元49蔵が集結した「唎酒会」で、2日目は福島県の酒蔵を集めた屋外イベント。いずれも、著名な蔵主らが参加しており、盃を次々と空けながら酒造りの奥深さやトレンドを生で学べた。こちらは、集客力のある都会だからこそ体験できる機会だった。

 最初のエピソードは新たに拠点を構えた故郷・山口県で、次が移住後も住処を残した東京都での出来事だ。6月に旅行会社を退任して約4か月、「都会/田舎」「にぎやか/静か」のコントラストが激しい日々を送っている。「二拠点活動」を選んだことが、それを可能にした。

 「二拠点」の相乗効果は、想定以上だった。

 今回、「旅でつなぐ 山口の未来」をキャッチフレーズに個人事業を始めたが、地元のパートナーからは「東京につながりを持ち、知見や人脈を保っている人」への期待を感じる。月に半分しかいないからこそ、上京中は積極的にイベントに顔を出し、人に会うようにもなった。通勤で往復するだけだったころには見失っていた、東京の魅力を再発見した。
 一方、きちんと故郷に拠点を構えたことで、山口では新たな人のつながりができた。最近も、DXに熱心な金属精密加工会社の三代目社長や、娘の海外情報発信活動を支える歯科医と知遇を得た。おそらく、帰省や観光でたまに訪れる腰かけでは、知り合えなかった人たちだろう。

 実は、高校まで過ごした故郷は、暮らす場所としてはあまり好きじゃなかった。近所付き合いが濃くて、一挙手一投足がいつの間にか集落じゅうに伝わった。アンジェラ・アキが「繊細な糸で素朴な街に縛り付けられていた」(「HOME」より)と歌った息苦しさ、煩わしさがそこにはあった。
 故郷を離れて45年がたち、商店街の「シャッター街」化など人口減と高齢化による衰退は目を覆うばかりだが、生活は意外と便利で快適なことに気づいた。車(かバイク)があれば、いつでも、どこでも行けて、渋滞や満員電車のストレスがない。おまけに、空港の駐車場がタダで、料金を気にせず車を置いておける。瀬戸内のキトキトの魚が、信じられないお手頃価格で食べられる。周南市の居酒屋でご一緒した2人の税理士さんは、この居心地のよさを「便利な田舎」と評した。言い得て妙だ。

 もちろん、「二拠点活動」は、すべてがバラ色ではない。家賃は2倍かかるし、交通費はかさむ。ゴミ捨ての日を忘れて移動すると、戻った時にプチ惨状が待ち構えている。それでも、私の転機を知って、多くの人から「実は、自分も考えている」という声をいただいた。その方々に今、4か月の経験を踏まえ、「おすすめします」と自信を持って言いたい。地元コミュニティでは、新たな活躍の機会が得られるだろうし、都会の良さを再発見するきっかけにもなる。何より、人生が豊かになること請け合いである。
 政府も後押しして、このところ話題の「二拠点活動」。思い立ったら、気軽にご相談ください! (ライター 貴志貞広)
          ◆
 地方で事業する中で、心にうつりゆくよしなし事を書きつくる随想集「ズレズレ草」を、ペンネームで随時、掲載します。昔から電話などで「サダヒロです」と名乗ると、「下の名前でなく苗字を」とよく言われたし、有名作家を含め貴志という苗字はあることだし、この際、ひっくり返して、ライターとしては別人格になってみました。洞察力にあふれた本家「徒然草」とは、比べるべくもないですが、世間とはちょっとズレてても本音を記す欄にします。ぜひ、ご愛読ください。

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